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日米・高等教育エンゲージメント研究(USJP HEES) [教育政策と人的資源]

2年前より「日米・高等教育エンゲージメント研究」(US-JP Higher Education Engagement Study; HEES)の、日本国側の諮問委員を務めています。


日米HEESとは、国際交流基金の内部に設けられた国際交流基金日米センター(CGP)の助成金により進められる日米共同による調査研究プロジェクトで、その目的は、日米の研究者が集まって、日米大学間の学生の語学留学を含めた人材・学術交流や各種パートナーシップを強化するために、その基礎的な研究調査、意見交換等を行うことです。アメリカ側は首都ワシントンに本部を置くACEAmerican Council on Education)が、日本側は国公私立大学団体国際交流担当委員長協議会(JACUIE)がそれぞれ取りまとめています。


もちろんコロナ禍の現在、オンラインで会議が行われています。写真は、コロナ前にワシントンDCで開催された第1回の日米会議の際のものです。


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ワシントンDCの中心部デュポン・サークル地区にある、ACEが入っているビル。


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過去2年間の主な研究成果は、20172020年における日米大学間での留学実績、研究者交流等に関する膨大なデータの整理および視覚化です。次の「研究の結論」リンクに進むと、「物理的交流」「研究」「学位課程」等の5分野別にデータを視覚化できますので、ご参照ください。


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日米大学間の交流に関する膨大かつ断片的なデータの整理は容易ではなく、今後の課題も多く見つかりました。近年多くの国際機関では統計データの視角化が進んでおり、統計データの方法論・収集方法もグローバル化しており、その世界トレンドに沿うことで、わが国の高等教育のデータ国際比較が可能となる側面が多々あります。今回の日米HEESの諮問委員を務め、そうした貴重なことを学んでおります。


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国立大学の研究力、不確実性への公共投資 [教育政策と人的資源]

国立大学の役割や存在意義は大学院を核とする研究力の強さにある。このことは「国立」という設置形態の問題ではなく、有能な研究者をより多く集積する大学院という「機能」の問題である。つまり国立大学の経済効果という課題を考えるうえで、「機能」は中長期的かつ安定的な蓄積により発揮される「人的資源」の形態の一つとして考えるべきである。

「機能」を人的資源の一形態として捉える意味で、国立大学の存在価値をより優れたものにするのが、前回ブログで論じた「ロングテールによる不確実性への公共投資」という考え方である。この点が今日、国立大学の制度改革に最も欠落している。国立大学の制度改革は2004年以後法人化を含めて実施されてきたが、研究という「機能」を人的資源の蓄積として捉えることによって国立大学の研究力を引き出すという考え方が必要であり、国立大学の財政支援の大きな柱とすべきである。研究という「機能」そのものに国立大学の競争力が組み込まれているからである。

新型コロナウィルス。その蔓延と猛威が象徴するグローバルな不確実性の問題解決は、誰が提示するのか。世界が注目している。その答は、少なくとも官僚機構など行政組織ではないことは事実である。大学に代表される研究機能を有する組織のはずである。それもロングテールの視座に立つ研究チームへの期待が寄せられる。研究という「機能」、つまり時間・労力を研究に費やす人々(人的資源)の合理的配置が不確実性の克服に最も資する。新型コロナウィルス危機はこのことを暗示している。不確実性への公共投資は豊かな先進国のいわば特権であり、日本はサイエンスにおける国際的主導力を高める体制を再認識、再構築すべきである。

さて、新型コロナのニュースを横目に、ここ1週間ほどアメリカ名門私立大学で教育データ経済学を専門とする私の友人とメールで情報交換。彼は、日本の国立大学の世界的リーダーシップの可能性は非常に高いという。ただしその最大の条件は国の財政支援、それも安定的なロングテールの考え方から国立大学を支援する仕組みの再構築にあると主張する。アメリカの2年制コミュニティカレッジ(州の財政支援で運営される公立短期大学)の政策に詳しいその友人に、日本の国立大学法人運営費交付金の削減の話をすると、コミュニティカレッジと「立ち位置」が類似しているという。ロングテールの考え方が希薄な上、つねに財政事情を理由にして予算削減対象の矢面に立たされるのがコミュニティカレッジなのだと話す。思わず閉口してしまう指摘である。


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国立大学(高等教育)の経済効果をみる多様な視点 [教育政策と人的資源]

2019年6月より2年間の契約で、一般社団法人・国立大学協会からの受託研究「国立大学の経済効果に関する調査研究」の研究代表者を拝命している。

アメリカの州立大学を主な比較対象として日本の国立大学の経済効果を分析することを主たる目的としている。今年は1年目として、日本の国立大学やアメリカの州立大学を訪問し、副学長・事務局幹部、そして研究者にヒアリング調査を実施している。

公教育支出のGDP比、科学技術イノベーション、博士育成・若手研究者の雇用、無償化、奨学金、リカレント教育。日本の高等教育を取り巻くこれらの諸課題はどれも、日本経済の政策運営や資源配分に直結するものばかりであり、また中長期的スパンを前提にして成果が蓄積され、経済社会に体現され、利益または便益を広くもたらすものである。

一方、グローバル化、少子高齢化、デフレ、財政危機といった構造的な問題を抱える中で、高等教育の財源とく国立大学運営費交付金は先細りし、個々の国立大学は毎年財源確保に戦々恐々としている。40歳未満の理系の若手研究者は「研究費ゼロ」という事例も稀ではない。化石燃料に乏しい国でも「人材」という無限の資源に国が総力を挙げて投資し、豊かで強靭、かつ柔軟な経済社会を目指そうとするいわば「日本らしい」戦後の政策運営は、もはや遠い昔である。「日本らしい」ハングリー精神は国立大学から消失してしまうのではないかという不安も感じる。

テコの原理のように、少ない投資で大きな利益を瞬時に生み出すのであれば「優」とし、ならば積極的に予算を削減することが財政上「美徳」であるかのような政策基質が横行している。戦後国立大学の果たしてきた研究・教育・社会貢献の実績を中長期的な視野から評価する姿勢は失われ、きわめて単眼的になっている。まさに「木を見て森を観ず」の感を否めない。

元来、高等教育は多様な顔をもつ。そしてロングテールの性格をもつ。この基本認識こそが重要であり、冒頭で列挙した高等教育を取り巻く諸課題を考える上での出発点である。教育面では、教育機会の拡大、人的資本の増強、所得と労働生産性の上昇、国や地方自治体の税収増大、大学関連サービス消費・生産等を生み出すことは経済学によって実証されている。研究面では科学技術・イノベーションの創出、特許の出願申請、ベンチャー企業・事業のスタートアップ、既存企業との産学連携や新しい応用研究、大学から企業等への技術移転、研究関連の地域経済へのインパクトがある。社会貢献も多岐にわたって実績がある。大学を中心とする「大学街」の雰囲気、まちづくりの生み出す社会的便益は単眼では蓄積できず、まして市場で売買しえない土着型の公共財である。

ニューヨーク大学のMicheal Hout教授は高等教育の経済インパクト実証研究の権威である。Hout(2012), ”Social and Economic Returns to College Education in the United States”は、高等教育の経済効果のポイントとして、所得の上昇や失業率の低下はもちろん、高等教育が家族構成(Children living with two adults)や幸福度および健康維持(Hapiness and Helath)に与えるインパクトを時系列や取得学位別に分析するものである。そして両者に強い相関性があることを明らかにしている。Hout教授の研究は高等教育が個人や社会にもたらす影響が多様であり、ロングテールであると論じている。

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ニューヨーク大学Micheal Hout教授の研究室。


カリフォルニア州はリーマンショック後、深刻な財政危機を経験したが、オバマ政権の連邦政府によるスペンディング政策の効果もあり、州レベルでの財政危機は予想以上のペースで回復をみせ、今日にいたっている。カリフォルニア大学は州の財政危機を受けて財源不足に陥り、授業料の引き上げを断行した(せざるを得なかった)。しかし、それだけでは終わっていない。最も尽力したことの一つは、大学理事会や研究者が中心となって自ら大学の経済効果をロングテールの観点で分析し、そのエビデンスをロビイストを通じて州議会に主張し続けたことである。連邦議会に対してもワシントンに本部を置く全米大学協会Association of American Universities)がロビー活動を強力に行い、大学の生命線である研究費の確保に奔走した。


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カリフォルニア大学バークレー校。全米TOPの研究大学でありながら地元の地域経済への貢献プログラムも豊富。


政府の運営費交付金(経常費補助金)に大きく依存している点では、カリフォルニア大学も我が国の国立大学も同様である。問題なのは、財政難に陥った時の、高等教育それ自体を捉える見識のあり方、終わりなきハングリー精神を体現する財政と政策基質である。この点に日米の差異を感じる。

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コロラド大学のTodd Eley先生と研究報告会 [教育政策と人的資源]

 先週、1週間ほどアメリカのオレゴン州とコロラド州に出張して、研究者との研究報告・意見交換等を行いました。初等中等教育や高等教育の財源確保が主なテーマで、色々と示唆的な議論を交わすことができました。

 コロラド州では、州都デンバー市のダウンタウン地区に所在するコロラド大学デンバー校公共事情学部(CU Denver, Dpt of Public Affairs)のTodd Ely准教授との研究報告、意見交換を行いました。

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 Ely先生とは、2014年の米国AEFP学会以来の知人で、年齢もほぼ同じ。アメリカの学校区における一般財源保証債(General Obligation Bonds)に関する実証的・制度的研究をされている若手気鋭の研究者です。

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 この日、彼との意見交換では学校区レベルの一般財源保証債にとどまらず、デンバー市内の都市再開発の持続的・自立的な財源確保を目的として積極的に活用されるレベニュー債、とりわけTIF債の動向に及び、民間資金や地方債市場からの資金調達等による都市再開発(PFI等)が勢いを増していることを確認しました。これは、一つには2008年金融危機後のアメリカの地方経済の堅調ぶりを裏づける動向として興味深く、また基本の地方財産税に加え、地方売上税も積極的に償還原資(担保)とするTIF債スキームが広がっていることを確認しました。

 私自身ここ数年、こうしたアメリカのTIF債スキームの活用事例を、初等中等教育は勿論のこと、高等教育との関係も視野に入れるかたちで捉えてきたので、とても刺激的な時間であり、日本の地方財政あるいは教育財源確保に大きな示唆を供するものと感じました。

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 今後もEly先生との協働研究を継続し、地方債や教育財源確保における日米比較を総合的に展開できたらと考えています。

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コロンビア大学Kevin Dougherty先生と意見交換 [教育政策と人的資源]

この夏、米国コロンビア大学のKevin Dougherty先生と勉強会、意見交換をしました。

以前も、同じくコロンビア大学で初等中等教育統計データ分析を専門とするAlex Bowers先生を紹介しましたが、今回のDougherty先生は特に高等教育ガバナンス、政策決定プロセス、Merit PayやPerformance Funding等を含むや資源配分等を主な研究テーマとしています。

大学院教育学スクールに到着2階に上がって、約束の時間までいつもの廊下で休憩。

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約束の時間になったので、Dougherty先生の研究室へ。

今回の意見交換の主なテーマの一つがMerit Payをめぐるアメリカでの学術的なストリームと実証研究の基本的枠組みでした。先生の論文は事前にメールでいただいていたので、それを素材に議論をしました。

アメリカにも一般的な企業では、勤続年数、年齢等をベースとするSeniorityが存在します。大企業ほどしっかり制度化されています。また大学でも、勤続年数、年齢、学位などに基づくSeniorityが適用されますが、近年、大学では従来のSeniorityの基本スキームとは別に、教員個人の業績等に応じて追加的なボーナスのように配分される"Merit Pay”が一部で実施されています。ただし、そのあり方は大学によって大きく異なります。

Dougherty先生との議論の中心は、Merit Payに関するいくつかの典型例をベースにして類型化するための要素整理でしたが、私立か州立という設置形態はもちろん、Dean(スクール長)の権限範囲、President(学長)またはProvost(総括副学長)とDeanのパワーバランスなど、ガバナンスの現状があまりにも個々に多様化しているため類型化はそう容易ではないという意見が最後まで支配的でした。

最後に、Dougherty先生と一枚。

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ニューヨーク市の公立小学校 [教育政策と人的資源]

「3人に1人が移民、2人に1人が英語を母国語としない」。これがアメリカ最大の都市ニューヨークの実態です。公立学校の先生の技能が問われます。

多種多様な人種民族で構成されるニューヨーク市。その意味でグローバリゼーションの縮図のような都市です。ただし移民が人口の多くを占めるニューヨーク市も、自立的な権限と税源をもつ地方自治体の一つであることに何らかわりはありません。納税者は税負担をし、教育、福祉、住宅、公衆衛生等の行政サービスが維持されています。移民も納税者の一人です。

また、アメリカ最大の移民都市ニューヨーク市はアメリカ最大規模の「巨大学校区」です。英語を母国語としない移民の家族が多く居住する学校区であり、小中学校・高校は、移民の子女を含む生徒自らがアメリカ社会で生きていく上で最低限必要とされる学力を習得させるという、極めて重要な役割を果たしています。特にほとんどの小学校で英語の補習授業プログラム(Language acquisition)は重要であり、そのために学校区の予算や教員配置も市教育委員会や各学校レベルで毎年議論されます。また、英語を母国語としない両親との対応にも大変な苦労があるようです。

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9月に視察したのは、そのニューヨーク市にあるマンハッタン地区に設置されている公立小学校、Central Park EastⅠおよびⅡ。小学校4年生の社会の授業を視察させていただきましたが、生徒一人ひとりにパソコンを与えてのインターネットを活用した授業でした。インターネットを活用した授業はクリントン政権以来、全米の小・中学校で実施されてますが、その導入機材の良し悪しは学校区の財政状況(自主財源)で決まります。私がこれまで視察した中では、マクロソフト社が小・中学校の授業運営のために開発した"Smart Board"と呼ばれるモデルが最新機材と記憶していますが、今回視察した小学校の校長先生に伺うと、まだその導入の見通しはないとのこと。

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アメリカ最大の巨大都市ニューヨーク。ウォール街に代表されるアメリカ経済の力強く豊かで華やかな世界の裏側には、ローカルガバメントとしての学校区の厳しい現実がありました。豊かにして貧しい超大国アメリカ。その象徴たるニューヨーク市は今日も多種多様な人種民族でにぎわっています。

アメリカの学校区と教育自治 [教育政策と人的資源]

以前のブログで、アメリカは「地方自治の百貨店」のような国だと表現しましたが、今回はまさにそれを象徴する分野である教育(義務教育を含む初等中等教育)の分野を紹介します。3月、ワシントンDCに研究調査で出張に行きましたが、その際にワシントンDCに隣接するメリーランド州Prince George's Countyの学校区オフィスにも行きました。

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これがその正面玄関。メリーランド州ではCountyが学校区の行政単位となっています。

訪問の目的は、学校区長(superintendent)にお会いして財務部長も交えながら30分ディスカッションすることでした。学校区のオフィスに入ると、その長い廊下一面に、生徒の習熟度テストの成績の時系列グラフが張り出されていたのが印象的。近年アメリカの多くの州は、州内にあるすべての学校区に科目別習熟度テストを実施、報告を義務づけています。メリーランド州は特に教育に力を入れています。そのグラフを横目で見ながら、一番奥にある学校区長オフィスへと、案内されました。その途中、同County教育委員会の本会議場がありました。この本会議場こそ「教育自治」の物質的な姿といえます。ここで決めることが全てであり、連邦や州の上位政府からの関与やコントロールは基本的にはありません。つまり、すべて学校区ごとで自分たちの教育行政を賄うという自立、自生、自治の考えを規範としています。財政については、ある程度、州や連邦からの各種補助金が交付されますが、基本となる財源は学校区内で課税された自主財源(地方財産税)です。

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地域住民(教育費を負担する学校区の一般納税者)は誰でも傍聴、質問ができる。委員会はケーブルテレビで放映される。
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委員席からプレス席・傍聴席の方に向かって見るとこんな感じ。

「教育自治」といえる根拠に、"Layman system"があります。アメリカの教育委員会は学校区ごとに公選によって召集されたメンバーで構成されます。財政(地方財産税率決定や予算編成)、人事、カリキュラムに至るまですべて教育委員会の承認なくして決まりません。つまり"layman system"(素人による官僚専制に対するチェックアンドバランス)です。地方行政における民主主義の確立は、教育に顕著に見られます。まさに「教育自治」なのです。もちろん、素人だけでは行政は動かせません。ちゃんと事務組織も確立されており、そのトップが今回お会いすることができた、学校区長なのです。

アメリカでは「学校区長」というポストは教育行政のプロフェッションであり、通常、年収10万ドル以上、いわば地方の高級官僚といったところです。ほとんどの方が経済学の博士号やMBAなどの学位を持っています。しかし、やはりその学校区長の権限も教育委員会の承認の上に発揮されるものであり、強権的なものではありません。ここに、アメリカ教育行政の最大の特徴があり、常に進化する仕掛けがあるといえそうです。

イーストハーレムの軌跡 [教育政策と人的資源]

この日、私はニューヨークのイーストハーレムにある公立小学校を訪問し、校長のスミス先生とのディスカッションをしていました。すると校長先生が「今ちょうどある有名な先生が授業に来たから紹介してあげる」と言い出したのです。その有名な先生とは・・・・。

そう言えば、NYのマンハッタンは数多くの映画の舞台になっています。その中でも今回の研究調査テーマに関わるものがあります。それは、映画『ミュージック・オブ・ハート』です。主演は、女優のメリル・ストリープ(2000年アカデミー賞受賞)。

映画『ミュージック・オブ・ハート』は実話です。 NYマンハッタンのイーストハーレム地区(貧困地区)の公立学校でバイオリンの音楽教員を勤める女性が音楽を通じて生徒達に希望を与えるという実話です。主演女優メリル・ストリープが演じるのはバイオリンの音楽教員、ロベルタ・ガスパーリ先生です。

なんと、スミス校長が私に紹介してくれる有名人とは、このロベルタ先生だったのです!校長室から廊下に出ると、目の前にロベルタ先生が立ってます。コーディネータの補助教員が私のことをロベルタ先生に伝えてくれていたようで、ロベルタ先生の方から気さくに"Hello! Nice to meet you."と言って握手を求めてくださいました。アメリカ研究してて良かった。「感動」の瞬間でした。

校長先生とロベルタ先生が、授業の様子を見学させてくれるというので、さっそくロベルタ先生と一緒に音楽教室へ移動。

さぁ、授業が始まりました。
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バイオリンや音楽よりも、「規律」を教えているように感じました。
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とにかく気さくな方でした。
ロベルタ先生の教育方針は、「自尊心」(self-confidence)を磨くこと、だそうです。


ニューヨーク公民協働と教育政策 [教育政策と人的資源]

2月27日から研究調査でニューヨークに来ています。

今回の調査研究テーマは、「アメリカ大都市学校区の債券発行と証券市場との関係」ですが、その基礎的な調査として、ニューヨーク市内の公立学校での資本改善事業計画(Capital Improvement Projects)の実施状況調査、ヒアリングです。この他にも、学校区の財務部での資料収集もあります。


今回の調査対象の一つ、セントラル・パーク・イースト公立学校の様子。
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アメリカの地方財政、とくに教育財政は学校区ごとの地方分権的な仕組みをベースとしているので、学校区の自立と自律には目を見張るものがあります。学校区の財務部の担当者はみな、専門的な知識と責任を積極的にテイクしようとする姿勢があります。

ですから、ディスカッションすると必ず最後に担当者は個人の意見を熱心に語ります。そしてその専門的な知識を納税者に平易に説明し、資本事業計画や債券発行の決議(resolution)に導く努力をします。


ところが、自立と自律の志しとは無関係に、経済不況や財政難が襲ってきます。人間は、様々なクライシスに対して専門知識と経験をもって対処しますが、しかし人間の知識や経験だけではグローバル化した経済不況に伴う財政難を食い止めるのは容易ではありません。

そこで、学校区は自主財源以外に外部から財源を調達します。債券発行は、その主要な手段となっていますが、しかしこの証券市場こそ誠にグルーバル化した存在であって、一連のサブプライムローン問題では、基金を州に預けて運用を行っていた学校区が州の判断によって資金凍結にあい教員給与が支払えないという事態が起きました。

この時は、学校区は急遽、地元の地域金融から借入れて教員給与を支払ったとの報告書を読みました。それ以後、学校区は疑心暗鬼になっています。ここNYはそうしたサブプライムローン問題の震源地であったゆえに、新たな対応策も実践されています。

それが、NPO等と公立学校との「公民パートナーシップ」による財源調達です。これは、公立学校での音楽、美術、ダンス、演劇など芸術科目で急速に進んでいます。今回の研究調査でも、「公民パートナーシップ」に注目しています。

「公民パートナーシップ」で設置されたことを示すボード。
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私は以前、学校区による債券発行、証券市場との緊張関係について、2007年の論文「シカゴ市学校区の債券発行の枠組み」(渋谷博史・秋山義則・前田高志編『アメリカの州・地方債』日本経済評論社)を著しました。

同論文の執筆時に、やはり証券市場だけでは財源不足を補完しきれない部分があるという現実を十分知っていましたが、ひとまず考察から捨象しました。証券市場から信用を得られない、自主財源に乏しい学校区はどうしているのか、という問題意識です。

「公民パートナーシップ」は結局、民間寄付金(企業、個人)を得たNPOが政府部門(ここでは公立学校)に様々な形で資金提供して資本改善事業をサポートすることです。


パートナーシップを得て建設した校舎横に設置されたグラウンドの様子。
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皮肉にも、NYの公立学校に公民パートナーシップを進めざるを得ないのは、それだけ教育を取り巻く財政難が深刻であるからです。昨日の地元テレビ番組でも、次年度の公立学校の特殊教育(special education)の予算削減のニュースが報じられました。

グローバル空間、「グランドセントラル駅」に立つ [教育政策と人的資源]

2008年の夏、研究調査でニューヨークを訪問してから2年半ほど経った現在。
いま再び、研究調査でニューヨークに来ています。

NYに着いたその翌日からすでに10か所以上のアポイントメントをこなしています。今日もNY北部郊外にある地域、White PlainsというNY有数の富裕地域へ行きます。

さて、NYマンハッタンのど真ん中といってよいグランドセントラル駅近くのアパートメントホテルに宿泊しておりますが、このグランドセントラル駅は、「グローバルな世界」です。人種、民族、職業、学歴、言語、居住区、そして所得のあらゆる面で多様な人々が利用する場所です。もちろん観光客もいます。

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私は講義で学生に「NYグランドセントラル駅へ行く機会があれば、そこに30分間黙って通行人の様子を見てごらん。」と言ったことがありますが、気がつけば、つい自分がその行動をしていました。

通行人の中で、最も目立った動きの一つが、Metro-Northと呼ばれるNY北部郊外へ路線を張り巡らせる列車に乗り込もうとする人々です。Metro-Northはいわゆる大都市NYの公共交通システムを担うもので、その乗客の多くは北部の比較的富裕な地域に住む白人層です。夕方6時前、足早にトラック(プラットフォームのこと)へ向かう彼らの姿に目を引きます。この中には、あのWall Streetで働くブローカーもいることでしょう。

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グローバルな空間「グランドセントラル駅」に身を置きながら、色々と想像しつつ、写真を撮ってみました。

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