コロンビア大学での大規模学生デモ(その3) [コロンビア大学の研究報告]
2024年4月 研究者紹介ページ公開(その2) [コロンビア大学の研究報告]
2024年4月 コロンビア大学での研究生活スタート(その1) [コロンビア大学の研究報告]
「アメリカ大統領選挙2024年」結果予測マップ [塙ゼミナールの研究活動]
東京大学 阿曽沼明裕先生をゲスト招致 [塙ゼミナールの研究活動]
国立大学の経済効果 [財政問題と地方分権]
宇都宮ライトライン [都市政策・モビリティ研究]
「イリノイ州議会「2016年危機」 ー高等教育における受益と債務ー」 [著書・論文]
「空港アクセス」の財政学 ―シカゴオヘア空港を事例にして― [著書・論文]
日本高等教育学会会長プロジェクト
米航空3社の利益、コロナ前を上回る
公開講座 [都市政策・モビリティ研究]
米国の中間選挙 2022年11月 [超大国アメリカの経済社会]
シリーズ「交通税を考える」(その1) [都市政策・モビリティ研究]
交通は、古くて新しい問題である。高速道路・新幹線・空港等への全国的・大規模な交通インフラ整備の時代は一巡した。今後は地域レベルでの交通インフラ整備や財源確保を考える時代である。本シリーズでは、そうした問題意識から地域公共交通、特にそれを支える「交通税」について検討したい。
2022年3月24日、滋賀県の税制審議会が「交通税」を本格的に検討しはじめたのは画期的である。審議会は「地域の公共交通機関を支えるには県民に新たな税負担を求める必要がある」として、「交通税」導入の答申案をまとめた。税金、それも「地方税」と言えば地域住民の反対や反感が予想されるが、しかし行政サービスがタイトに享受できるメリットが説明されれば、反対は軽減されうる。
「交通税」を考えるうえで、示唆に富むのがアメリカの事例である。「クルマ社会」と言われるアメリカでも「交通税」はすでに導入されている。それも半世紀前に遡る1974年に交通税の導入が決定され、今日まで運用されている。
大都市シカゴが典型例である。1974年、シカゴ大都圏を構成する1市6郡で「交通税」導入の是非をめぐる住民投票が実施された。その住民投票の結果が興味深い。都市部のシカゴ市だけが賛成多数となり、ほか郊外6郡はすべてクルマ社会を謳歌する住民が大半のため反対多数となり、都市と郊外の地域対立が露呈する形となった。結果、人口(つまり票数)の多いシカゴ市での賛成票が効いて、過半数ラインを僅差で上回り、「交通税」導入が決定したのである。こうして「交通税」をめぐる見解の相違が浮き彫りになったが、クルマ社会アメリカにとって画期的な進歩であると地元メディアは報じている。
拙稿(2010)で論じたように、注目すべきは「交通税」に反対する理由である。反対多数を占めた郊外6郡の人々はミドル層ないし富裕層であり、豊かで自由なクルマ社会、ライフスタイルを謳歌する人々である。彼らはガソリン税や売上税を多く負担している上に、さらに「交通税」を負担させられることに猛反発したのである。毎日クルマを利用する人間にとって交通税は不公平な税と考えたのも無理はない。
交通モード選択は元来、自由である。また居住地域、通勤先、ライフスタイル、所得水準等は個人や家庭で異なる。現実にはそれらの諸要素による総合判断によって交通モードが選択されており、その意味で「交通税」導入には強力なコンセンサスを必要とする。問題なのは、クルマ(道路)以外にコストのかかる交通モードとしての電車、バス、路面電車等の多様な選択システムを提供する必要性だけでなく、メリットを住民に説明できるかどうかである。シカゴではその説明(説得)をする材料として交通税の「配分」に関する、ある工夫が講じられたのである。本シリーズ、次回はそのある工夫とは何かを含め、「交通税」について考える。
【参考文献】
慶応義塾大学・加藤一誠教授をゲスト招聘 [塙ゼミナールの研究活動]
学会発表「イリノイ州議会『2016年危機』と州立大学レベニュー債」 [著書・論文]
アメリカの銃乱射と雇用不安 [超大国アメリカの経済社会]
論文「超大国アメリカの地域経済の成長と構造 ―サウスカロライナ州の事例分析」 [著書・論文]
このたび、穆尭芊・新井洋史編著『大国のなかの地域経済 -アメリカ・中国・日本・EU・ロシア』(ERINA北東アジア研究叢書11、日本評論社、2022年)が発刊されました。
本書は、アメリカや中国をはじめとする大国の中規模都市・地域が、大都市圏やグローバル化する世界経済の中でいかに発展してきたのかという課題意識を共有しながら米中日欧露を比較検討します。日本評論社作成ポスター(下記)の利用により「特別価格」で購入できます。
私は、第1章「超大国アメリカの地位経済の成長と構造 ―サウスカロライナ州の事例-」を担当しました。金融危機後におけるアメリカ南部、特にサウスカロライナ州チャールストン郡を中心とする地域経済の成長要因を、米国労働統計データ(BLS)を活用して分析しています。
論文「アメリカの都市郊外化と『交通カルチャー』の変容」 [著書・論文]
論文「ニューヨークの公共交通モビリティとハドソンヤード再開発」 [著書・論文]
日米・高等教育エンゲージメント研究(USJP HEES) [教育政策と人的資源]
2年前より「日米・高等教育エンゲージメント研究」(US-JP Higher Education Engagement Study; HEES)の、日本国側の諮問委員を務めています。
日米HEESとは、国際交流基金の内部に設けられた国際交流基金日米センター(CGP)の助成金により進められる日米共同による調査研究プロジェクトで、その目的は、日米の研究者が集まって、日米大学間の学生の語学留学を含めた人材・学術交流や各種パートナーシップを強化するために、その基礎的な研究調査、意見交換等を行うことです。アメリカ側は首都ワシントンに本部を置くACE(American Council on Education)が、日本側は国公私立大学団体国際交流担当委員長協議会(JACUIE)がそれぞれ取りまとめています。
もちろんコロナ禍の現在、オンラインで会議が行われています。写真は、コロナ前にワシントンDCで開催された第1回の日米会議の際のものです。
ワシントンDCの中心部デュポン・サークル地区にある、ACEが入っているビル。
過去2年間の主な研究成果は、2017~2020年における日米大学間での留学実績、研究者交流等に関する膨大なデータの整理および視覚化です。次の「研究の結論」リンクに進むと、「物理的交流」「研究」「学位課程」等の5分野別にデータを視覚化できますので、ご参照ください。
日米大学間の交流に関する膨大かつ断片的なデータの整理は容易ではなく、今後の課題も多く見つかりました。近年多くの国際機関では統計データの視角化が進んでおり、統計データの方法論・収集方法もグローバル化しており、その世界トレンドに沿うことで、わが国の高等教育のデータ国際比較が可能となる側面が多々あります。今回の日米HEESの諮問委員を務め、そうした貴重なことを学んでおります。
ANA総研・立教大学の西村剛氏 [塙ゼミナールの研究活動]
塙ゼミ2021年度スタート [塙ゼミナールの研究活動]
国立大学の「大学債」を考える② -米国のレベニュー債から学ぶ- [著書・論文]
アメリカの研究開発資金の源泉と配分 [著書・論文]
国立大学の「大学債」を考える① -償還財源- [財政問題と地方分権]
アメリカの都市政策と自転車 [都市政策・モビリティ研究]
「アメリカ大統領選挙2020年」結果予測マップ [塙ゼミナールの研究活動]
国立大学の研究力、不確実性への公共投資 [教育政策と人的資源]
国立大学の役割や存在意義は大学院を核とする研究力の強さにある。このことは「国立」という設置形態の問題ではなく、有能な研究者をより多く集積する大学院という「機能」の問題である。つまり国立大学の経済効果という課題を考えるうえで、「機能」は中長期的かつ安定的な蓄積により発揮される「人的資源」の形態の一つとして考えるべきである。
「機能」を人的資源の一形態として捉える意味で、国立大学の存在価値をより優れたものにするのが、前回ブログで論じた「ロングテールによる不確実性への公共投資」という考え方である。この点が今日、国立大学の制度改革に最も欠落している。国立大学の制度改革は2004年以後法人化を含めて実施されてきたが、研究という「機能」を人的資源の蓄積として捉えることによって国立大学の研究力を引き出すという考え方が必要であり、国立大学の財政支援の大きな柱とすべきである。研究という「機能」そのものに国立大学の競争力が組み込まれているからである。
新型コロナウィルス。その蔓延と猛威が象徴するグローバルな不確実性の問題解決は、誰が提示するのか。世界が注目している。その答は、少なくとも官僚機構など行政組織ではないことは事実である。大学に代表される研究機能を有する組織のはずである。それもロングテールの視座に立つ研究チームへの期待が寄せられる。研究という「機能」、つまり時間・労力を研究に費やす人々(人的資源)の合理的配置が不確実性の克服に最も資する。新型コロナウィルス危機はこのことを暗示している。不確実性への公共投資は豊かな先進国のいわば特権であり、日本はサイエンスにおける国際的主導力を高める体制を再認識、再構築すべきである。
さて、新型コロナのニュースを横目に、ここ1週間ほどアメリカ名門私立大学で教育データ経済学を専門とする私の友人とメールで情報交換。彼は、日本の国立大学の世界的リーダーシップの可能性は非常に高いという。ただしその最大の条件は国の財政支援、それも安定的なロングテールの考え方から国立大学を支援する仕組みの再構築にあると主張する。アメリカの2年制コミュニティカレッジ(州の財政支援で運営される公立短期大学)の政策に詳しいその友人に、日本の国立大学法人運営費交付金の削減の話をすると、コミュニティカレッジと「立ち位置」が類似しているという。ロングテールの考え方が希薄な上、つねに財政事情を理由にして予算削減対象の矢面に立たされるのがコミュニティカレッジなのだと話す。思わず閉口してしまう指摘である。
文部科学省の「国立大学法人の戦略的経営実現に向けた検討会」を考える [財政問題と地方分権]
国立大学の制度改革や政策形成の重心が文部科学省から近年は内閣府(官邸)にシフトするなか、国立大学の経営的自由度や財源確保の方策が議論されるという「政策力学」には注視すべきである。前回ブログで述べたように、高等教育の経済効果や個人的・財政的な便益はロングテールで捉えてはじめて、その生産性が本質的に評価される。単年度・単眼的な視野から官邸主導で政策立案を急ぎ、予算配分のメリハリと称して新たなルールを適用し、結果的に予算総額を圧縮する手法には「労多くして益少なし」の感をみる。
政府の未来投資会議が担う科学技術・イノベーションをめぐる議論は、まさにロングテール案件の典型である。投資とは、良い意味で「不確実性」の世界だからである。国のイノベーション投資とはまさに不確実性への公共投資であり、国立大学はその不確実性と日々闘いながら研究成果を生みだす拠点である、と再定義すべきである。「不確実性」への公共投資こそ、グローバルな競争力の源泉となり、イノベーションの主導権を握る可能性を大いに秘める。2000年以後グローバル化の進展の中で日本経済が低迷している最大の理由は、そうした主導権を完全に失っていること、つまり不確実性への重層的な公共投資を異様に嫌って国立大学への財政支援を削り落とし、投資効果に対して単眼単層になりすぎていることにある。
検討会議の論点の一つ、国と国立大学との契約関係に関する議論は興味深い。仮に、上述した再定義からいえば、従来の大学経営ガバナンス論に立脚した議論では不十分である。むしろ迷走の感さえ抱く。結論からいえば、「イノベーションの不確実性への自立的挑戦」という普遍的なロングテールの中心概念を打ち立て、国と国立大学とが重層的あるいは多様に契約を交わす仕組みが必要である。不確実性への公共投資という再定義によって国立大学レベルでの「自立的挑戦」のあり方は重層的・多種多様になり、国立大学や研究者が意欲や使命に燃える環境を提供できる。なにや「挑戦」という言葉を用いると、無責任な「冒険」であるかのごとく誤解を生むかもしれない。その誤解を解くためにも、国立大学または個々の研究者には地域社会や納税者に対する高い説明力を備えることが前提となろう。文系・理系ともに社会に対する説明力という点で、国立大学は不十分であったかもしれない。
「不確実性への公共投資」という再定義から言えば、東大・京大・東北大等の「指定国立大学」7校に偏在した政策形成や資源配分には矛盾が生じる。不確実性への公共投資の対象とすべきは、基本的に全86校の国立大学は勿論、私学助成金が投じられている私立大学を含む高等教育システム全体である。不確実性のグローバル経済の時代に競争力を維持するには、多様性と重層性を備えた高等教育システムが有用である。有能な研究者は国立にも私立にも在籍している。その意味で国立、私立の設置形態は重要ではない。それは、ハーバード大学やスタンフォード大学など有力な研究大学のほとんどが私立であり、連邦政府から多額の研究費が投じられていることから容易に理解できる。ただし日本の場合、実質的には研究機能を蓄積した「大学院」を設置しているのは国立大学であり、したがって研究力が高いことは事実である。設置形態ではなく、究極的には大学院を研究機能の核としている点に国立大学の存在意義がある。
世界を震撼している新型コロナウィルス。その猛威の克服には「不確実性への公共投資」が急がれる。それはグローバルな競争であり国が国立大学を支援する理由である。ウィルス撲滅のワクチン研究には国の支援と大学の「自立的挑戦」という精神の両輪駆動が必要である。