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国立大学の研究力、不確実性への公共投資 [教育政策と人的資源]

国立大学の役割や存在意義は大学院を核とする研究力の強さにある。このことは「国立」という設置形態の問題ではなく、有能な研究者をより多く集積する大学院という「機能」の問題である。つまり国立大学の経済効果という課題を考えるうえで、「機能」は中長期的かつ安定的な蓄積により発揮される「人的資源」の形態の一つとして考えるべきである。

「機能」を人的資源の一形態として捉える意味で、国立大学の存在価値をより優れたものにするのが、前回ブログで論じた「ロングテールによる不確実性への公共投資」という考え方である。この点が今日、国立大学の制度改革に最も欠落している。国立大学の制度改革は2004年以後法人化を含めて実施されてきたが、研究という「機能」を人的資源の蓄積として捉えることによって国立大学の研究力を引き出すという考え方が必要であり、国立大学の財政支援の大きな柱とすべきである。研究という「機能」そのものに国立大学の競争力が組み込まれているからである。

新型コロナウィルス。その蔓延と猛威が象徴するグローバルな不確実性の問題解決は、誰が提示するのか。世界が注目している。その答は、少なくとも官僚機構など行政組織ではないことは事実である。大学に代表される研究機能を有する組織のはずである。それもロングテールの視座に立つ研究チームへの期待が寄せられる。研究という「機能」、つまり時間・労力を研究に費やす人々(人的資源)の合理的配置が不確実性の克服に最も資する。新型コロナウィルス危機はこのことを暗示している。不確実性への公共投資は豊かな先進国のいわば特権であり、日本はサイエンスにおける国際的主導力を高める体制を再認識、再構築すべきである。

さて、新型コロナのニュースを横目に、ここ1週間ほどアメリカ名門私立大学で教育データ経済学を専門とする私の友人とメールで情報交換。彼は、日本の国立大学の世界的リーダーシップの可能性は非常に高いという。ただしその最大の条件は国の財政支援、それも安定的なロングテールの考え方から国立大学を支援する仕組みの再構築にあると主張する。アメリカの2年制コミュニティカレッジ(州の財政支援で運営される公立短期大学)の政策に詳しいその友人に、日本の国立大学法人運営費交付金の削減の話をすると、コミュニティカレッジと「立ち位置」が類似しているという。ロングテールの考え方が希薄な上、つねに財政事情を理由にして予算削減対象の矢面に立たされるのがコミュニティカレッジなのだと話す。思わず閉口してしまう指摘である。


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